品種を謳うのは"リスク"
カウンターの向こうで、炭がぱちりと音を立てた。
髙坂鶏だけを扱うという、この焼き鳥店。私は髙坂さんの隣に座って、最初の一本を待っていた。二十余年、多くを語らずにきた人が、今夜はようやく口を開いてくれるという。それも、ご自分の鶏を前にして。こんな贅沢な取材があるだろうか。
私はもともと謎解きが好きなたちだけれど、この農園には謎が本当にたくさんあって、どこから伺えばいいのか正直迷った。結局、いちばん素朴で、誰もがきっと最初に気になる話から始めることにした。品種の話である。
「サイトの写真を見て、赤鶏の系統かしら、と思っていたんです」
ささみが運ばれてきた。わさびをほんの少し。口に入れた瞬間、話がどうでもよくなりそうになって、慌てて串を置く。髙坂さんは、ゆっくり頷いた。
「ご推察通り、うちで今扱っているひな鳥は赤鶏の系統です。ただ、実を言うと私にとって品種はさして重要ではないんですよ。むしろ、特定の品種に依存することは、経営という目で見ると大きなリスクでしかない、と思っています。
「例えば鳥インフルエンザのような病気が出たり、ひな鳥の業者さんが何かの事情で急に閉められたり。そういうことは、いつ起きてもおかしくないでしょう? そんな時に『ひな鳥が入らないから、鶏を卸せません』なんて無責任なことは、言いたくないんです」
これは決して大げさな話ではない。後で調べてみて、私は少し青くなった。高病原性鳥インフルエンザが猛威をふるった2022年から23年のシーズン、日本では約1,700万羽もの鶏が殺処分されている。しかも日本で飼われている鶏の大もとになる「原種鶏」は、そのほとんどが海外の育種会社から輸入されたものだ。ひな鳥の供給は、天災と、海の向こうの企業の都合と、二重に細い糸でつながっている。「いつ起きてもおかしくない」というのは、養鶏家の実感なのである。
大切なのは持続性と技術力
なるほど、と思わず頷いてしまった。
品種を一つに絞って前面に出すことは、見方を変えれば、その品種に縛られることでもある。だからあえて書かない。業界の常識からすれば、ずいぶん珍しい考え方なのかもしれない。けれども目の前の串を口に運びながら話を聞いていると、これは変わっているというより、とても落ち着いた人の判断なのだとわかってくる。どんな時でも変わらずお届けできる体制を、何よりも大切にしているのである。
次に出てきたのは、皮目をぱりっと焼いたもも。噛むと、肉汁が静かにあふれる。それにしても、と私は思う。「品種には頼らない」と、こんなふうにさらりと言える人はそう多くないのではないだろうか。その言葉の後ろには、それを支えるだけの積み重ねと、磨いてきた技術への静かな自信が隠れているように思えてならない。
「そもそも、私にとって品種は何であろうと構わないんです。何であろうと、私が培ってきた飼育法で、理想的な状態に育てられますから。品種で他と競争する意味も価値も感じないので、言う必要もない。もちろん、全国各地の地鶏からブロイラーまで、思いつく限りの品種を試したから言えることですよ。検証には時間がかかりましたけれど、どんな品種でも最高品質の鶏に育て上げられると、今なら断言できます。今の品種に何かあっても、他ですぐにリカバリーできますしね」
そう言って髙坂さんは、自分の鶏の串を、ごく当たり前のような顔で口に運んだ。
実は、この言葉には科学の裏づけがある。生き物の姿かたちや味は「遺伝」と「環境」の両方で決まる、というのが畜産学の基本だ。そして鶏の肉の場合、環境、つまり育て方の影響がとても大きい。
たとえば、スーパーに並ぶブロイラーは生後およそ50日で出荷される。地鶏の規格では75日以上と定められている。そして髙坂鶏は、120日前後。ブロイラーの2倍以上、地鶏の基準と比べても1か月半ほど長く、時間をかけて育てられている。ちなみに、世界最高峰と呼ばれるフランスのブレス鶏も、規定で4か月は育てることになっている。偶然だろうか。
育てる日数が延びるほど、肉の中に旨みのもとになるイノシン酸やグルタミン酸がたっぷりと蓄えられ、筋繊維は細かく締まって、噛むほどに味が出る肉になる。餌の中身は脂の質を変える。地鶏らしいコクの正体のひとつは、アラキドン酸という脂肪酸の多さだと言われている。飼う密度やストレスも、肉の色や水分の保ち方に直接ひびく。暑さや緊張で鶏が参ってしまうと、肉は白っぽく、水っぽくなってしまうのだ。
言い換えれば、品種が同じでも育て方が違えば別物になるし、逆に、育て方を極めた人の手にかかれば、品種の差はかなりの部分まで埋められる。「どんな品種でも最高品質に」というのは、精神論ではない。味を決める「遺伝」と「環境」のうち、「環境」の部分を二十年かけて誰よりも磨き上げた人の言葉なのである。
つまり、こういうことなのだろう。何の品種か、ではない。今こうして私が口にしている、思わず笑顔になってしまう"髙坂鶏"へと育て上げる技術。そこにこそ、本当の価値がある。どんなに良い食材でも、扱う料理人の腕で仕上がりが変わるのと、きっと同じことなのだ。
炭の上では、次の串がじりじりと音を立てている。
では、その飼育法には、どんな秘密が隠されているのだろう。きっとまた、こちらの想像をやさしく裏切ってくれるに違いない。私はお猪口を空けて、次の一本と、次の話を待つことにした。
(Vol.2 に続く)